機物(はたもの)神社

七夕 年に一度の日が広まった所以はココから 機物(はたもの)神社

七夕
バレンタインとは違ったドキドキ感がありますよね
ドキドキというよりウキウキかな
七夕の起源をもつ神社が、大阪府交野市(かたの市)にあります

機物神社(はたものじんじゃ)

機物神社と茅野輪

毎年、7月6日と7日は七夕祭

七夕祭のために作られたような、境内いっぱいになる日。
毎年この時期には、竹に支えられた笹が境内に茂り、
笹にはお願い事を書かれた短冊が、たくさんくくられている光景が見られます。

準備される竹は近くの山に入って
1日かけて選び出し、
1日かけて切り出し、
1日かけて運搬されるそうです。

ところが、、、。
残念ながら2020年はコロナの影響で・・

七夕祭は中止

 

七夕祭は中止です。
ホントに残念。

七夕伝説

交野市のゆるキャラ おりひめちゃん

機物神社には、「霞を織る織姫」という伝説が伝わっているそうです。
日本の七夕伝説とは、棚機津女のお話。

棚機津女(たなばたつめ)というのは人の名前ではなく、
織物の機械を使う女性のことを言います。
この女性を主人公としていくつかの話があります。

一番よく耳にする話と言えば、織姫と彦星のお話でしょう。

むかし、空の天の川の西に織姫がすんでいました。
幼い時から機織りがとてもじょうずでした。
織姫が織った美しい布は地上までとどいて霞や雲となり、
見渡す限りの山や野原をつつむのでした。
ある日、織姫が大きくなったので、お父さまの神様が、
川の東から彦星という立派な若者をお婿さんに迎えました。
大喜びした織姫は、彦星に夢中になり布を織らなくなりました。
心配したお父さまの神様が、なんどか注意しましたが、ききめがありません。
「空の様子がおかしいぞ。ちかごろ、霞や雲がでないぞ」
とうとう地上の人々が騒ぎ出したので、しかたなく、お父さまの神様は、
彦星を川の東へかえしました。
そうして、年に一度、七月七日の夜だけふたりが会うことをゆるしました。
いまも織姫は、その日を楽しみに待ちながら、せっせと布を織っています。

交野巡礼より

今も昔の繰り返しですね。

平安時代の頃に、中国から養蚕技術が伝わり、
その技術者たちが、交野の地に定住し、機織り(はたおり)が広まった。

機物神社は、機織り(はたおり)を祀る神社として創建され、
「ハタモノの社」として定着し、七夕の話も伝えられた。

七夕の話は、宮中、公家の間で広まり、楽しまれたそうで、
紀貫之にも詠われています。

紀貫之歌碑

思ひきや

我が待つ人は

よそながら

たなばたつめの

逢ふを見んとは

紀貫之(872-945) 三十六歌仙の一人

この歌碑は、手水舎のスグ裏手に設置されています。
手水舎のスグ横には、お守りやご朱印の授与所があります。
ご朱印をいただく間にも、ご覧になってください。

機物神社の 御祭神

天棚機比売大神(あまのたなばたひめのおおかみ)
𣑥機千々比売大神(たくはたちぢひめのおおかみ)
地代主大神(とこしろぬしのおおかみ)
八重事代主大神(やえことしりぬしのおおかみ)

大祓式(夏越の祓)

茅の輪くぐりが設置されているので、こちらで夏の大祓いをしましょう。
6月30日から設置される茅の輪。
1年の前半の穢れを清め、1年の後半を無事に祈願するものです。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)も疫病には茅の輪を身に着けて免れるように。
とされた、蘇民将来の逸話にあるものです。

茅の輪のくぐり方

茅の輪を8の字を描くように3回くぐります。

まずは、足から踏み出して、茅の輪をくぐり、に一周して一礼。
次に、足から踏み出して、茅の輪をくぐり、に一周して一礼。
最後に、足から踏み出して、茅の輪をくぐり、に一周して一礼し、拝殿に進みます。

参拝を終えられたあとは、そのまま通り抜けていただいて構いません。

茅の輪くぐりの唱え言葉

茅の輪を三周する間に、唱えます

祓い給ひ 清め給ひ 守り給ひ 幸ひ給ひ
読み:はらいたまえ きよめたまえ まもりたまえ さきわいたまえ

上記は一般的な唱え言葉です。
神社によって作法が異なる場合がりますが、機物神社では特に記載がありません。

機物神社へのアクセス

学研都市線 津田駅から徒歩10分ほど

大阪・梅田からも、京都からも交通の便は良い
JR学研都市線 津田駅 に行ってみよう

機物(はたもの)神社
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