ゴトビキ岩と神倉神社

熊野三山のはじまり 前世の罪を浄める

熊野速玉大社

熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)
創建は不詳とされています。
主祭神は、熊野速玉大神と熊野夫須美大神 

熊野三社の中でも参拝しやすいのが、熊野速玉大社。
摂社の神倉神社は後述するとして、鳥居から拝殿までが近いのが特徴。
また、ご祭神が13殿もあることも特徴の一つですね。

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世界遺産に登録され、2019年は15年目となります。

 

「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録 されました。
2019年は世界遺産に登録されて15年になり
限定のご朱印をいただくことができます。

特別に用意されているご朱印は予め書置きされており用紙も白紙ではなく色付きの用紙で準備されています。

このような書置きされている、特別なご朱印はひと回りほど大きく、小ぶりのご朱印帳をお持ちでしたらはみ出してしましますのでご注意ください。

ちなみに、こちらで授与いただけるご朱印は、ご朱印帳よりも大きいです。

ご神木は梛(ナギ)

梛の木は、平安時代末期に平清盛により植えられたとされ
樹齢1000年と言われ、国指定天然記念物に指定されています。

ご神木は梛
ご神木は梛
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摂社 神倉神社

神倉神社(かみくらじんじゃ)
熊野権現が最初に降り立ったのが
神座山のゴトビキ岩であるとされています。
ゴトビキ岩とは、社の隣にある大きい岩のことです。

神倉山には、神武天皇も奉登したと日本書紀に記載されてあり
この時にはまだ社は建てられてなく、神倉山を自然信仰の中心であったとされています。

現在でも神事では古式に則り執り行われているそうです。

旧宮と新宮

熊野速玉神社は、神倉山に社がなかったため
麓に新しく創建されました。

先に祀られていた神倉山に対して、熊野速玉大社を新宮(新しく創建された宮)としたため、熊野速玉大社のことを新宮と呼ばれました。
地名の新宮は現在と少しずれていますが、新宮とは熊野速玉大社のことを指しています。
神倉神社の 創建は128年と言われ、源頼朝が寄進したとされています。 

神倉神社参拝で注意すること

鳥居の前に、お賽銭箱がありますが拝殿は見えません。
賽銭箱を過ぎるとすぐに石造りの階段が538段続きます。。。

その先。
登りきると拝殿とゴトビキ岩に参拝することができます。
町並みの眺望も楽しむ事ができますよ。

賽銭箱のとなりに杖が置いてあるので、使われることをおすすめします。

雨の日のから数日は、雨で落ち葉が濡れて
滑りやすいので気を付けてください。

登る角度も急こう配であれば、一段一段の石階段の石のかどが鋭角で不揃い。
アトラクションではないので、休憩所はありません。

ゆっくり登っている方は、あせらずゆっくり 後続の方に道をお譲りください 。
後続からササっと登られる方は先の方にあまり接近し過ぎず、声を掛け合いながら進んでください。

さて、頂まで登ると神倉神社の社とご神体のゴトビキ岩が見えてきます。
最後のヒト絞りで階段を上り参拝してください。
そこからの景色が下の画像になります。
 

こちらは、夕刻の景色です。
なにか、達成感があります。

ゴトビキ岩はどうやって運んだの?

急斜面に538段の石階段。

いったいどうやって、この大きな岩を運んだのか?
なぜこの場所を選んだのか?
持ち上げて運んだとすれば、本当に大変ですよね。

ゴトビキ岩は、マグマの活動の過程で隆起と侵食で形成され、風化し、この場所でこのような形になったそうです。

 神武天皇が奉登された熊野の天磐盾 (あまのいわだて) は、神倉山ではないかと考えられています。

この岩のそばからは、弥生時代に作られたとされる、銅鐸などが発掘され信仰と歴史を感じます。

この岩と同様の経緯で形成されたのが、熊野那智大社のご神体となっている「那智の滝」も同様に、133メートルの落差は隆起と侵食の作用によるものだそうです。

神話のはじまり

初代天皇の神武天皇が
まだ、磐余彦尊(いわれびこのみこと)と名乗っていた時—。

宮崎県高千穂からみて東方(広島、岡山、和歌山、奈良)に豪族などの争いが見え、磐余彦尊が日の神の御子として東方遠征に向かう。

磐余彦尊の東征に滞りが見えることを懸念して、天照大神(あまてらすおおかみ)が、武甕雷神(たけみかずちのかみ)に平定の助力を指示した。

武甕雷神はその命を受け、葦原中つ国(あしはらなかつくに)を平定したときに使った剣を磐余彦の尊と同じく、地上に住む高倉下命(たかくらじ)の住む倉に、霊剣 韴霊(ふつのみたま)を落としました。

武甕雷神は、高倉下命に韴霊を磐余彦尊に、献上せよとお告げを下すと、高倉下命はその通り霊剣を磐余彦尊に渡し、熊野の山中で襲われた。
荒ぶる神々に対し、その霊剣をもって、荒ぶる神々の化身となった熊の討伐に成功しました。

そして、天照大神からのお告げの通り、天から遣わされた頭八咫烏(やたがらす)の導きにより、熊野と大倭を平定。その後磐余彦尊は、畝傍山(うねびやま)の東南、橿原にて都を築き居住を構える。
(現在では橿原神宮として鎮座している)

始馭天下之天皇 神日本磐余彦火火出見天皇(神武天皇)として、第一代の天皇にご即位されました。

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