初詣は、丑年丑月丑の日丑の刻生まれの
藤原道真公を祀る北野天満宮に行ってきました。
令和3年(2021年)は、丑年ですからね。
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北野天満宮
一の鳥居
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参道の道すがら臥牛の頭を撫でて進む。
右に左に奉納された臥牛があり撫でながら進む。
臥牛の撫で牛ですね。
楼門
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楼門には、首が上向きの丑のおおきな絵馬が掲げられている。
そのすぐ上に掲げられた額には
ご祭神の菅原道真公をたたえる言葉が示されている。
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風月本主
文門大祖(ぶんどうたいそ)
学問、文学の祖 という意味
風月本主(ふうげつのほんしゅ)
漢詩、和歌に長じた人 という意味
平安時代の学者
大江匡衡(おおえのまさひろ)と
慶滋匡胤(よししげやすたね)によるもの。
三光門(中門)
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1607年豊臣秀吉の遺命により
秀頼の寄進により建てられたそうです。
本殿前にある三光門は
ズッシリとした重厚感があるが
色鮮やかで装飾も細かい。
参拝が第一目標なので
サラッと通り過ぎてしまうところ。
表から見ても
裏から見ても細かい彫刻と色使いが鮮やか。
上を向きながら何度も出入りしてウロウロしてしました。
参拝の方の邪魔になり申し訳ない。
天満宮の額
天皇の直筆で書かれた寺院の額のことを
勅額(ちょくがく)と言う。
天満宮は後西(ごさい)天皇の
ご宸筆(しんぴつ:天皇の直筆の意)
後西天皇(第111代天皇)
星欠けの三光門
三光門の言われで、よく耳にし、目にするのが彫刻のお話。
日と月と星が示されている。だから三光門ということ。
日と月の彫刻はあるが、星の彫刻はない。
夜間、空に北極星が見えることから、
星欠けの三光門と呼ばれたそうです。
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本殿
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三光門をくぐると、正面には本殿があり、
社殿はぐるっと囲まれた造りになっている。
本殿から社殿に繋がる檜皮葺屋根は、
石畳の廊下を挟んで繋がっていて
とても広く複雑な構造になるそうです。
両側面は、授与所になっていて、
お守りなどが置かれている。
巫女さんがお座りの前に並ばないといつまでたっても、
授与いただくことができません。
鬼切丸(髭切)
三光門を過ぎてすぐ右側に石灯篭があります。
宝剣髭切を鬼切丸という名をつけるに至った要人
渡辺綱が寄進した石灯篭(重要美術品)
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源満仲が作らせた2腰の刀の一つで二尺七寸(約102cm)
罪人を切ったときに髭まで切れたことから、
髭切と名付けられたそう。
試し切り対象が罪人の時代だったんですね。
髭切は、光仲の嫡男源の頼光に継がれ
頼光の四天王の一人渡辺光に貸し出された時のお話。
渡邊綱が所用で夜半に、
一条戻り橋に差し掛かったところ
若く美しい女性の姿をした鬼に遭遇
鬼は綱を捕らえ舞い上がり愛宕山に戻ろうと
北野天満宮の上空に差し掛かった時
髭切を抜刀し綱をつかんでいた
鬼の片腕を切り落とし九死に一生をた。後日、渡邊綱はこれも天満宮の大神のおかげと
神恩感謝し、石灯篭を寄進したとされている。これにより
髭切は鬼切丸と名付けられるようになった。宝物殿の紹介文より
石灯篭横の駒札に消えかかりながらも書かれている内容と
ほんの少し違うかもですが、本筋は変わりません。
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年間で数日だけ開かれる宝物殿で
鬼切丸を見ることができます。
刀に限り、撮影することができます。
撮影は、スマホに限るという事です。
ゆうてえやあ
アクセス
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よう詣り。